稚木(わかき)の桜~高知県 高岡郡 佐川町~

貫井 智之
貫井 智之
高知県といえば、私、貫井(ヌクイ)。
ひょうたん桜につづいて、高岡郡佐川町の稚木(わかき)の桜も担当させていただくことになりました。
稚木の桜は、自分の図体(身長183cm)に似合わず、マジでキュートな桜です。
桜の花とのツーショット写真がなくて、その差をお見せできないのが残念!
稚木(わかき)の桜について 一瞬の美しさ 幼姫の形見 佐川町役場・古谷岩美さん

一瞬の美しさ

ワカキの桜は、地元、高知県佐川町では“若木”とも書くヤマザクラの亜種。当プロジェクトでは巨木、大木が名を連ねる中、この桜は、樹高2~3m、径15 ㎝と、とてもキュートな容姿をしています。“稚木”としては15~20年と短命で、まれに生命力あふれた固体が25年、30年と命を永らえると、“寿命” を越えたころから徐々に原種のヤマザクラに変異していくと言われています。そのうえ“稚木”として採取した種を植えても、中には原種のヤマザクラとして先 祖返りするものもあり、再び稚木としてこの世に生誕するかどうかは、発芽してみないとわからないとか。

しかも普通、サクラは発芽10年後くらいに花を付けることが多い中、“稚木”は2~3年ほどで花を付けて・・・しまうらしく、とても早い分、どこか生き急 いでいるようにも感じられます。伏尾川のほとりに並んだ立ち姿は、そのかわいらしい容姿からいっぱいの儚さと愛くるしさを放っていました。

(写真上左、民家の庭先にポツンと、発見世代から二代目の稚木。上右、5月中旬にわずかに残る花弁。下、キュートなサクラも大木と同じくらいのさくらんぼを実らせます。)

幼姫の形見

稚木の桜は、明治、大正から昭和初期の時代に活躍した植物学者の牧野富太郎博士が発見したことは広く知られています。
博士の出生地である佐川町(旧尾川町)には小高い山がいくつもあって、尾川から2つ目の小山の山頂付近がその発見場所と言われています。
また、1400年頃の室町の時代まで、その山頂付近には尾川城の城址があったことも史実が明らかにしています。
ところで、稚木の桜は、人工交配か自然交配か。
かつて、尾川城がまだ隆盛を放っていたころ、当時の尾川城主は亡くした幼い姫を偲び、家臣に姫と同じ寿命の桜を作らせた、とか・・・。

佐川町役場・古谷岩美さん

佐川町には土佐でも一二を争う司牡丹の蔵元があり、国道沿いには商業施設も多く、拓かれた町並みが続きます。
国道33号で佐川町に入ってくると、その入口付近に多目的ホールの、その名も「桜座」が忽然と姿を現します。
もともとは“佐久良”という庶民の文化活動団体が発祥のようで、そのせいか町のいたるところで「さくら」の文字を目にすることができます。

その佐川町で今回、初めてお会いできたのが、この地で稚木の種を守り続けた古谷さん。
古谷さんは、先代のお父様の時代から自宅近くの尾川沿いに稚木の桜を植え続けること数十年、今では川沿いに延々と続く稚木の桜並木を見ることができるまでになりました。
そして古谷さんをご紹介いただいたのが、武井近三郎園芸研究所の武井先生。武井先生には、当プロジェクトのオブザーバーにも快諾いただきました。

高知佐川の町の皆さんの力を少しずつお借りしながら、儚く可憐な稚木の桜が宇宙へ飛び立ちます。

(写真上、左から長谷川、佐川町役場から産業建設課渡辺課長、ひょうたん桜でもおなじみのてんくろうの会鈴木会長、武井先生、事前打ち合わせ風景。中、桜 守の古谷岩美さんと。古谷さんは、僭越ながら、稚木の桜のごとく、とてもかわいらしい方でした。下、続く続く稚木の桜並木・・・)

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