根尾谷淡墨桜淡墨桜は、継体天皇(26代 507年~532年)即位に際し、長年隠れ住んだ根尾村を去るに当り、名残惜しむ人々に形見として植えたのがこの桜との言い伝え。継体天皇は次の一首を残しました。 『身の代と遺す桜は薄住みよ 千代に其名を栄盛へ止むる』 散る間際に花の色がやや淡い墨色になることから、"淡墨"桜と呼ばれています。(写真はカラーで撮った薄墨桜、まさにモノクロの趣。)散り際に命の儚さ、尊さを感じさせてくれます。

根尾谷淡墨桜淡墨桜は、継体天皇(26代 507年~532年)即位に際し、長年隠れ住んだ根尾村を去るに当り、名残惜しむ人々に形見として植えたのがこの桜との言い伝え。継体天皇は次の一首を残しました。 『身の代と遺す桜は薄住みよ 千代に其名を栄盛へ止むる』 散る間際に花の色がやや淡い墨色になることから、"淡墨"桜と呼ばれています。(写真はカラーで撮った薄墨桜、まさにモノクロの趣。)散り際に命の儚さ、尊さを感じさせてくれます。
『遥か飛鳥の時代より春の息吹を伝えている・・・、なんてロマンチックな桜なんだろう?』
樽見駅根尾谷淡墨桜を担当することになったときの私の率直な感想です。 4月8日夕刻。陽は沈み、空が朱色に染められ、山々が黒紫色に塗りかえられる中、私と淡墨桜は最初の出会いの時を迎えました。 『・・・・・』 根尾谷に降り立ったとき、目の前に広がる光景に私は息を呑みました。幹は太く、低く、その表情には幾重ものしわやこぶが刻み込まれ、萌黄色のコケがうっすらと覆い、全体的に深いこげ茶色に包まれていました。四方に広がる太い枝には、何本もの人為的な支えが施され、小枝には浅緋色の花が咲き誇り、神秘性を秘めつつも、力強く、可憐な生命の息吹を人々に感じさせるに、十分でした。その圧倒的な姿は、まさに長い年月の中を戦い抜いてきた生命と地域住民の共生の歴史を表しています。
(写真は、これまで幾度と無く淡墨桜の危機を救ってきた樹医の前田利行翁。根尾谷入り口の樽見の駅に今もたたずみ、淡墨桜を見守っている。)
本巣市立根尾中学校を訪れました。
校長先生はじめ、多くの方から、淡墨桜が地域の歴史、文化、そして誇りである、という強い思いを、私たちは確かに受け取ることができました。
文字通り、地域に根ざし、地域と共に生きてきた淡墨桜。この思いをたくさん詰め込んだ、宇宙を旅する淡墨桜の種は、再びこの根尾谷に舞い戻り、新しい息吹を吹き込んでくれるに違いありません。
私たちはこの思いが込められた種を大切に宇宙に運びます。
(写真は、根尾中学校校長岩本先生と。生徒さんが描いた淡墨桜の前で。)